Game over
何気ない話の終わりに、ふいに見つめられて、目線を外せなくなった。
その顔があまりに真剣で、見慣れているはずの人物なのに何故か怖いな、と感じる。
見つめられて、なんだか胃の下のあたりがぎゅっとした。
まるで涙を堪えているときみたいな感じ。
前にテレビで、心は心臓や頭にあるんじゃなくて、下っ腹あたりにあるんだって言っていたけれど。
ああ、そうかも、なんて思う。
だって、緊張した時とか、苦しい時とか、切ない時とかって、必ず痛くなるのは胸じゃなくて、下っ腹だ。
何気なく、そこに手をやって撫でてみるけれど、痛み、というか鈍く疼く感じはいっこうに消えそうになかった。
目の前ではまだこの下腹部の痛みの原因が、自分の事をじっと見ている。
どうしてこんなことになったんだろうと考える。
そしてもう一度、同じことを思った。
怖いな、と。
「…智さん」
名前を呼ばれてさらに下腹部が痛んだ。
目の前の人物、翔くんの真剣な瞳を見るのは別に初めてではない。
けれど何かを訴えるような、そんな瞳は一度だって見た事がなかった。
いや、向けられた事がなかった。
どうしてこんな瞳で見られているのだろうか。
よくはわからないけれど、わかっていないはずなのに、下腹部はきしきしと音を立てている。
先ほどまでいつもと同じ空気が流れていて、ふたりして笑っていたはずなのに。
つい数分前の事が、ひどく遠い出来事のように思えて。
僕は口を開けなかった。
「智さん」
また名前を呼ばれる。
瞳をただまっすぐに見つめてくる姿は、どうしようもなくドキドキした。
変だ、と思う。
いまさら、ずっと見慣れてきた顔にこんなにもドキドキするなんて、おかしい。
だけど変なのは自分よりも、こんな風に見つめてくる翔くんのほうだと思った。
目線も外せないでいると翔くんが段々と近づいてくるのがわかった。
あまりの真剣なその瞳がやっぱり怖くて、数歩下がると、トンと壁際に辿り着いた。
まるで自分で行き場をなくしてしまったみたいで。
泣きたくなった。
「…もう逃げられないね?」
そう言われて、どうしてどうして、翔くんは、と思う。
逃げられないなんて、まるで追い詰めているようなそんな言い方。
やっとのことで翔くんの目から視線を外すと、その肩口に視線を落とした。
まるで、ではなく追い詰められているのだと気が付いたのは、その時だった。
その肩が動いて、緩やかに腕が伸びてくる。
自分の肩先すれすれに、翔くんの腕がふたつ囲むように、置かれた。
それが触れられていないのに抱きしめられているみたいで、また下っ腹がキュッと音を立てた気がした。
「捕まえた」
鬼ごっこでもしていたかのように、耳元で囁かれる。
身体がブルリと震えた。
それは恐怖なのか、なんなのか。
まったくわからずに、ただ翔くんと、今度は目を合わせる事が出来なくなった。
必死でその肩だけを見つめる。
一体今、目の前の人物がどんな顔をしているのか確かめるのが、ひどく怖かった。
そうこうしている内に、見つめていた右の肩がゆっくりと動いた。
腕が、自分に伸びて、頬に添えるように手がおかれる。
そうしてそのまま首筋をたどるように、ゆるやかに撫でられた。
つぅ…と背中に何かが走る感覚がする。
なんだかわからないその、感覚に驚いて、初めてその場から逃げ出したい衝動に駆られて、身体を動かした。
途端、強い力に引き寄せられる。
「逃がさないよ」
捕まえたって、言ったでしょう?
そう言われて、翔くんのたくましい胸に自分の息がかかっていることに気が付く。
ドクドクと音を立てているのは自分のものなのか、それとも目の前にあるもののものなのか。
わからないほど、近くにいた。
もがくように1度身体を揺さぶると、また頬に手を伸ばされる。
今度は強引に持ち上げるようにして、上を向かされた。
「…もういいでしょう?」
何がいいんだよ、とかすれた声で返すと、綺麗な微笑みで返される。
その微笑みにまた下腹部が疼いた。
「気付いてるくせに」
そう言った直後、翔くんの顔のピントがぶれる。
唇に柔らかい感触を感じた時にはすでに、諦めを感じた。
「…智さんの、負けだよ」
離された唇にそう言われて、僕は自分の完全敗北を認めた。