11:振り向けば




「櫻井!」

生徒会の仕事を終えて他の役員を皆帰し、さてそろそろ戸締りをして帰ろうと思った、その時。
唐突に3年の担当の教師が、生徒会室の扉を軽くノックして、それから俺の名前を呼んだ。

「なんでしょう?」

何かの資料を片手に持った先生は、俺の元へ近づいてくると、面目なさそうに頭をかいた。

「まだいてくれて助かったよ。ちょっと頼まれごとしてくれないか?」

今から帰ろうと思った矢先の、その頼みごとに、少しだけ顔を歪めたくなる。
けれどそんなことは1つも表には出さず、ゆるりと微笑んでみせた。

「いいですよ。なんです?」
「お前、確か、大野の家の隣にすんでるんだったよな?」

唐突の、聞きなれた名字に少し、ドキリと胸が跳ねる。
生徒会の仕事とばかり思っていたそれは、どうやらもっと違うことのようだ。
先を即すように、はいと答えた。

「ああ、じゃあ悪いんだけど、これ。大野に渡してくれないか?すぐいるって言ってたんだけど渡すの忘れちまって」

そう言って手に持っていた茶色い封筒に入った何かの資料を渡される。
急ぎの資料なんて、一体なんなのだろう?と首をかしげていると、教師は何の気なしに衝撃の一言をもらした。

「留学に必要な書類の一部なんだけどな、ほら、明日から連休だろう?今のうちに渡しておいた方が良いと思って」
「え?」

…留学?

一体、何を言われているのか、すぐに理解出来なかった。
誰が、留学するって?その資料を誰に渡すんだって?
頭が一気に冷えるのがわかった。

「え?ってお前、大野、来年の春から留学するだろ?それの資料だよ」

それじゃあ、頼んだからな、と何か用事でもあるのか、バタバタと教師は去って行った。
そんな足音と共に、急に現実がふわふわと浮いたような気持ちになる。
頭が混乱していた。

智さんが、留学?
そんなの、聞いていない、知らない。
なんで、どうして、どうして。

だけれど、留学と聞くと色々と合点がいくことがたくさんでてくる。
夏の少し前から様子のおかしかった、智さん。
酒を飲み、俺の胸で泣いたあの日。
すべて、辻褄がピタリとあった。

俺は知らない、何も聞いていない、ひとつだって。
相談もされていなければ、行くことさえも知らされていなかった。
俺にとって智さんはかけがえのないたった一人なのに、智さんにはそうではなかったのか。
こんな大事なこと1つ、教えてもらえないほどに俺は、特別な存在ではなかったのか。

胸が、張り裂けそうだった。

行ってしまう、智さんが、留学してしまう。
いつも隣にいて、これからも隣にいるのだと、振り向けばそこにいるのだと思っていた存在が、消えてしまう。

ああ、どうしたら、どうしたらいいんだ、俺は。
俺は智さんが好きなのに。
どうしようもなく好きなのに、目の前から消えてしまうなんて、どうすれば良いんだ。
いつまでだって、隣にいると。
この恋が実らなくとも、まだずっと一緒にいるのだとそう思っていたのに。

ああ、どうして。


どうして。


俺を、置いていってしまうの?


嫌だ。嫌だ。嫌だ。
留学なんか、しないで、しないでよ、智さん。


まるで駄々をこねる子供のように、俺は生徒会室の床につっぷした。




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