16:震える手




「大野くん!大野くん!」

クラスメイトの女の子が、慌てた声で僕の席にやってくると、バンと机を叩いた。
無意識に仰け反るようにびっくりしてその顔を見上げると。
焦ったような表情。
僕、何かしたっけ?と思うと、息がつまる一言を言われた。

「ねぇ、櫻井くんに彼女が出来たって本当!?」

翔くんに、彼女…?
一瞬頭が回らなくて、なんども翔くんと、彼女という単語が頭の中を行き来した。
翔くんに、彼女が出来た。
そのことをやっとのことで理解した時には、胸が苦しくて張り裂けそうになった。
思わずここが教室だと言うことも忘れて、泣き叫んで走って逃げたくなったけれど。
最近、隠すことに慣れてしまったから。
笑ってみせた。

「そうなんだ?よくしらねぇわ」
「えーそうなの?大野くん、仲良いから知ってると思ったのに!」
「あんまそういう話はしないから」
「そっかー…残念。あーでも本当だったら嫌だなぁ」
「…翔くんのこと好きなの?」
「いや、そういうわけじゃないけどさ。どんな子かなって。櫻井くん、かっこいいから」
「ふーん」

興味なさそうに呟くと、それを合図にしたかのように女の子は、じゃあありがと!と言って去っていった。
人の気も知らないで、と悪態を突付きたくなったけれど、知るわけもないから意味はない。

翔くんに、彼女が出来た。
それは、多分、きっと、僕にとって喜ばしいことなのだと思う。
何もなかったことにしたあの日から、ずっと願っていた翔くんの幸せへの一歩。
だから、ほっとするはずの場面なのに。

「…大野?眉間に皺よってる」
「裕貴くん…」

情けない表情をしているだろうと言う自覚はあった。
胸が痛くて、苦しくて、辛くてしょうがなくて。
裕貴くんが心配そうな顔で、眉間の皺を伸ばしてくれてる。
なんだか泣きそうな気持ちになって、やめてよと小さく笑ってそれを払った。
裕貴くんは、さらに心配そうな表情になる。

「…ねぇ、大野?翔くんとなんかあった?」

どうしてこの友人は、と思う。
長い間自分たちのことを見てくれていたからなのか、それとも聡いだけなのか。
判断はつかないけれど、裕貴くんには不自然な自然はばれていたらしい。

「なんも。なんもないよ」

肯定してしまったら、問いただされる気がして、否定してしまう。
大体、あの日、何もないことにしてしまったのは僕で、ここで何かあったと言うわけにはいかない。
裕貴くんはそう言った僕に、何故か痛そうな顔で言う。

「…じゃあなんで、手、震えてんの?」

いつの間にか力強く握り締めていた手を、解かされる。
その手はかすかに震えていて、それが無意識で、泣きたくなった。

「やだな、寒いんだよ、この部屋」

震える手を撫でるようにしてこすり合わせる。
裕貴くんは僕の嘘に苦い顔をした。

「本当、寒くて、やだね、この部屋」
「大野…」
「…本当にね、なんもないんだ。なんもないんだよ、裕貴くん」

多分、さっきよりも情けない顔で、僕は裕貴くんに笑いかける。
何かありましたって言ってるようなものだってわかっているけれど。
何もないことにしてしまった僕には、何も言えない。
裕貴くんは、小さくため息をつくと。

「わかった。…何もないならいいんだ」

そう言って、困ったように笑った。
それから。

「…ひとりで無理はすんなよ?」

そう言って、僕の肩を軽く叩いて、自分の席へと帰っていった。
僕はその背中に、聞こえない声でありがとうとごめんねを呟いた。




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