22:大人と子供
「そのへん、適当に座って」
つれてこられた部屋は見慣れているはずなのに、ひどく懐かしい気がした。
何ヶ月ぶりに踏み入れたのだろうと考えながら、ベッドに腰をかける。
昔はこのベッドで眠って、ふたりで時を共有するのがとても居心地がよかったはずなのに。
どうしてだろう、今は息がつまるような想いがする。
こんな風にして閉鎖された空間で2人っきりになるのは、あの何もなかったことにした夜以来だった。
翔くんは、ベッドに腰をおろした僕を見ると、その目の前の床に腰を下ろして僕を見上げた。
「突然、ごめん」
小さく謝罪されて、戸惑う。
「どうしても、智さんが行く前に話しておきたかったから」
翔くんはそう話しながらも手のひらを握っては閉じ、握っては閉じを繰り返していた。
かすかに震えるその仕草に、彼が緊張しているのだと理解する。
そして自分の手も同じように震えていることに気が付く。
僕も緊張しているのだ。
「…出発、卒業式の次の日になったんだって?」
「ああ、うん、そう」
何かを切り出すための勇気を蓄えるみたいにして、話される話題。
きっと今、言いたいのはこんなことではなくて、もっと別のことなのだろう。
この場を逃げ出したいような感覚に襲われながら、ベッドから伸びている足に力を入れて床に踏ん張る。
翔くんは、相変わらず握っては閉じている手のひらを見つめながら、切り出しを迷っているみたいだった。
「あの、さ…覚えてる?あの日のこと」
「え?」
「あの、智さんが留学するって俺が知った、あの夜」
やっとのことで切り出された話に、胸が急激に痛む。
覚えていないはずがない、忘れるわけがない、あの夜。
すべてが変わってしまったあの日を、きっと多分一生忘れることはできないと思う。
否定も肯定もせずに、小さく俯くと、翔くんはかすかに苦笑した。
「…ごめんね。ずっと謝りたかったんだ」
僕は顔を上げることもできず、ただ、翔くんの手だけを見つめる。
声はいつもと同じトーンなのに、手だけが緊張して忙しなく動いて。
「智さんがさ、次会った時、なかったことにしたでしょう?俺もそれで良いと思ってた」
ああ、やめて、やめてと心の奥で声が聞こえるのに。
それは上辺だけの感情のように、甘苦い気持ちが込み上げてくる。
翔くんが、今から言おうとしていることに考えがおいついてきて、どうしていいかわかならくなった。
「だけど、やっぱり駄目だったんだ。俺は、なかったことになんて出来ない」
真剣な瞳で見られているのが見ていないのにわかって、さらに顔を俯けてしまう。
どうすれば、どうすればいいんだろう。
翔くんのためを想って、翔くんの将来を想うなら、僕はここでまたさらになかったことにしなければならないのに。
どうしてだろう、止められない気持ちがドンドンと胸を叩いてくる。
「智さん…」
そっと、震える手を握られて、びくりと身体が震えた。
この手を取ることを、心の奥が願っている。
取ってしまえ、取ってしまえと急かしてくるけれど。
決定的な一言を言われてしまう前に、こちらがまた消してしまえば、きっと彼は止まってくれるだろうと。
急かしてくる言葉をさえぎった。
「しょ、翔くん、ま、まって」
やっとのことで絞り出した声に、かすかに握られた手がびくりと動く。
「僕、僕は」
「待たない。待てないよ。ごめんね、聞きたくないかもしれないけど、聞いて」
いつもなら、ここで僕が止めてしまえば、翔くんは止まったはずなのに。
今日は、止まる気がないと宣言する。
いつのまに、彼はこんなにも強くなってしまったんだろう。
「ごめんね。行っちゃう前に、どうしても言っておきたいんだ」
それが智さんにとって迷惑だったとしても。
翔くんはそう言うと、僕の顔を静かに覗き込んだ。
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