06:雨のち晴れ。




傘がない、と靴を履き替えて、そこで気が付いた。
雨が降っていること自体に気づいたのがその場に立った時だったから無理もないのだけれど。
置き傘とかしてたかなぁと記憶をめぐらせて、頭の中で自分のロッカーを開けてみるけれど。
そこには体操服と持って帰る気のない教科書しか思い浮かばなかった。
雨は、思ったよりも強く降っている。
梅雨時期に入ったのだから当たり前なのだけれど、朝天気予報を見てこなかったことを少し後悔した。
さて、どうしようかと、途方にくれる。
頭に最初に浮かんだのは幼なじみの顔だったけれど。
今日の翔くんは、確か遅くまで生徒会があるのだと言っていた気がする。
それを邪魔するわけには行かないし、大体翔くんも今朝傘なんて持っていなかったから、ない確率が高い。
だけれど彼ならば、こんな突然のアクシデントに備えて傘の一本くらい学校に用意されている気がするけれど。
しかし、まぁ、年下に甘えてばかりもいられない。
ここは自分で何とかするしかあるまいと考えると、とりあえず屋根のあるギリギリの部分まで足を踏み出した。
そこであたりをきょろきょろと見回して、誰か途中まで一緒の知り合いでもいないか探してみる。
だけれどタイミングが悪いのか、見知った顔は一人も見つからない。
これはもう濡れて帰るしか方法はないかなと思い、いつまでもその場で突っ立っていてもしょうがないと雨の中へ足を踏み入れた。
…のに、何故だか雨の雫は一粒も、僕の上に落ちてこない。
不思議に思って、顔を上げると、自分の真上に黒い傘。
その傘を持っている腕をたどると。

「…翔くん」

傘を差し出していたのは、紛れもない幼なじみだった。

「傘、ないなら、俺んとこ来てよ。なんで濡れて帰ろうとするのさ」

むっとした顔で僕に傘をさしている翔くん。
屋根のあるところからだけれど、僕に手を伸ばしている分、肩先に雫が滴り落ちている。
僕は慌てて1度屋根のあるところに戻って、翔くんの手を屋根の中へと入れる。

「だって、翔くん、生徒会の仕事あるじゃん」
「それでも、来てよ」

まるで我侭を言うように言われて、子供のようにすねるその顔。
多分この学校にいる人には誰にも見せない、僕だけが知っている表情。

「とにかく、これ持って帰って」

差し出されて、握らされる。

「ちょっ…翔くんはどうすんの?雨、多分止まないよ?」
「あーいいよ。もう1本あるから」

そう言って、頬をぽりと、翔くんはかいた。
僕はそれを見て渡された傘を、突っ返す。

「翔くん、嘘は駄目だよ」
「え?」
「傘、もう1本なんて、持ってないでしょう?」
「いや、あるよ?」

少しあわてた口調で、それでも平静を崩さずに言う翔くん。
他の人なら、騙せたかもしれないけれど、僕は騙されてあげられない。

「ない。絶対持ってない」

確信を持って、突っぱねると翔くんの顔が困った表情になった。
翔くんは嘘をつくとき、左頬を指でかくくせがある。
滅多につかない上手な嘘は、それでいつも僕にはわかってしまう。

「…持ってるよ」

だけどまだ往生際悪く嘘をつくから、怒った顔で見つめると、観念したような表情になった。

「…ごめんなさい。持ってません」
「やっぱり」
「でも、いいよ。これは持って帰って。誰かに帰り入れてってもらうから」

そう言ってまた傘を押し付けてくる翔くん。
だけど僕は知っている。

「それも嘘。翔くんは、誰にも入れてもらわずに走って帰る気だ、濡れたって」

他人に迷惑をかける、という行為をあまり得意としていない彼だから、多分きっと一番誰にも迷惑がかからない方法で帰ってくる。
なんて、ばかなやつだ。
そう言うと、苦く笑った翔くんを見て、自分の考えが間違っていないのを確信する。

「もーいいから、傘。僕が濡れて帰るよ」

そう言ったら、翔くんはものすごい勢いで駄目だと叫ぶ。
まるで痴話喧嘩のように、玄関口でしているこの言い争いを見ている人は、何をやっているんだろうときっと首をかしげるだろう。
だけど、僕だってこればっかりは引くわけには行かない。
翔くんの傘で自分は濡れずに帰って、翔くんが濡れて帰るなんて、そんなの出来ない。
譲らない確固たる口調で、濡れて帰るよ、と言い張ると翔くんは、小さくため息を付いた。

「わかった…じゃあ、帰り、遅くなってもかまわない?」
「え?」
「ふたりとも濡れずにすむ方法。一緒に帰ろう?待たせるのもやだけど、濡れられるよりそっちのがマシ」

翔くんは傘をたたむと、僕の腕を引っ張って校舎の中へと連れて行く。

「え、帰るってば。濡れて帰る」

ずるずると引き摺られるのを必死で止めて、言うと今度はさっきよりももっと強い口調で駄目と言われた。
もうこうなってしまったら、言うことを聞くしかない。
こういうときの翔くんは頑固で、てこでも動かない。
きっと忙しい生徒会業務の途中で抜け出してきているのだろうに、僕が頷くまでずっとそのままでいるだろう。
仕方がない、とため息を付く。

「わかったよ、図書室で待ってる」

そう言うと、翔くんは、嬉しそうに笑った。

校舎の外は相変わらず、雨が降っていたけれど。
まるでそれは晴れマークのような笑顔だった。




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